ホニアラでは久々に贅沢な時間を過ごしてきた。
贅沢な外食続きでちょっと落ちた体重が戻ってしまった。
体重の話をすると切なくなるので、まぁ、気にしないでおこう。
日本に帰って体調や食生活が元に戻れば、多少は元に戻ると期待して(笑)
今回はちょっと長くホニアラに滞在したので、ホニアラ隊員の活動を見学したり、ベルギー人の空手レッスンに参加したり、日本語教室を見学したり、台湾ファームを見学してきたりした。
他の隊員の活動を見るのは本当に刺激を受ける。
今回、見学させてもらったのは理学療法士隊員と養護隊員のコミュニティー巡回。それから、言語療法士隊員の治療現場。
どちらも私にはあまり接点がなかった領域。
言語療法士に関してはその仕事に関する知識さえほとんどなかった。
私が見学に行ったときはマラリアで脳性麻痺になった患者さんの治療をしていた。脳が麻痺をすると舌も思うように動かせなくなる。舌が動かせないと話ができないばかりでなく、食事も自分でうまく出来なくなる。
舌を動かす訓練、舌のマッサージ、そうすることでしゃべれたり、自分で食事が飲み込めるようになるとのこと。
言語療法士と患者さんを目の前に、その仕事の意味を知った。
残念ながらソロモンには言語療法士がいないため、ボランティアの彼女が一人で仕事をしている。もし彼女がいなければ、脳性麻痺になった患者さんはしゃべれるようにはならなかっただろう。
そういう意味では障害を抱える子ども同じである。
コミュニティー巡回をする養護隊員と理学療法士隊員。
彼らがコミュニティーを巡回しなければ、スーさんはずっと部屋で寝たきりで、笑うことも泣くことも知らなかったかもしれない。まして、くしゃみや咳をする楽しさなんて知らなかったと思う。
彼らはスーさんのところを訪れて、マッサージをして、食事を与えて、一緒に遊ぶ。スーさんはうれしそうに笑う。そして、つぶしたバナナをおいしそうに食べる。1時間が過ぎて、私たちが帰るとき、スーさんは泣く。とっても悲しそうに。
「両親がもっと協力してくれたら。」「周りの人が両親が悪いと咎めるのではなく、協力してくれたら。」そうもらした隊員。
私も同じことを思った。
足が曲がって歩けなかった女の子。彼女は手術後、トレーニング不足のために再び足が曲がってしまった。ちゃんとトレーニングしていたら・・・笑顔に歩く練習をする彼女を見て心が痛んだ。その痛みを私以上に感じているんだろうなと横の隊員を見た。
スーさんや足の曲がった少女が住むコミュニティーはごみが溜まり、水が汚く、住んでいる環境がいいとはいいがたかった。
スラム。そんな言葉もあてはまりそうな場所だった。
そんな場所を見て、都市のほうが生活は厳しいのかもしれないと思った。
ソロモンで暮らして、私は貧困という言葉を忘れかけていた。
コミュニティーに足を運び、見えていなかっただけなのかもしれないと思った。
今まで私が障害を抱える子どもがどう過ごしているかを知らなかったように。